どこかのキャンプ場?
美しい木立が立ち並ぶこの写真、まるでどこかのキャンプ場にでも来たような気分にさせられます。ここはキリマンジャロ山の「かつての」森林保護区の「一部」。「かつての」と書いたのは、キリマンジャロ山ではその自然(森)を守るためとして、山麓住民が利用していたバッファゾーンの森を含む森林保護区が国立公園に取り込まれたためです。
ではここは国立公園なのかといえば、実はそうではありません。森林保護区への国立公園の拡大が行われた際、その中にあった、政府の運営する森林プランテーションだけは国立公園から除外されたためです。山麓住民の利用は排除し、政府が木材伐採を行うプランテーションは除外するというのはまったくアンフェアな措置と言わざるを得ません。
また「一部」と書きましたが、一部とはいってもその面積は住民が利用していたバッファゾーンの森の実に2倍、約160km2にもなります。
この写真の森(森林プランテーション)を管理しているのは、天然資源観光省にあった旧森林養蜂局が改組してできたTanzania Forest Service(TFS)です。
もっともTFSが管理する森林プランテーションでは、ミャンマーに起源をもつ“タウンヤ方式”の森林管理手法が導入されており、地域住民に植林を請け負わせる一方、苗木が大きくなるまでの間、植林地での耕作を認めています(下写真)。この点は住民を完全排除した国立公園とは一線を画していると言えます。
森林プランテーションの中でジャガイモを耕作する村人たち
当会は、住民生活を支えていたバッファゾーンの森を一方的に国立公園に取り込むことは、彼らの生存権や生活権を奪うことであり、その返還(かつてバッファゾーンを管理していた県の管轄に戻す)を山麓住民とともに求めています。
県の管轄に戻さずにTFSと協力して、現在森林プランテーションで行われているようなタウンヤ方式の実現を目指すという考え方もあるかもしれません。しかし当会はこの方法はうまくいかないと考えています。
美しい木立は一見魅力的に見えますが、所詮はプランテーションに過ぎません。山麓住民の多様なニーズは、このような大規模かつ画一的な森ではとても支えることはできません。また気が大きくなるまでの一時的とはいえ耕作が許されることも魅力的に映りますが、地域住民の誰もが耕作できるわけではありません。うまく契約の機会に恵まれた者のみが許されるのであって、そうでない大多数の者との間に軋轢を生むことになります。
重要な森林資源を得ることができないうえコミュニティー内で不和を生むようでは、TFSのような強力な権力機関が上から抑え込まない限り、決して長続きしません。また住民の貧困も解決できません。
結局のところバッファゾーンの森は、地域住民の生活と手つかずの原生林の双方を守るというまさに“バッファ”としての意義を、それを利用する住民たち自身が十分に理解したうえで、彼らが主体となって管理にあたることが最も効果的だと考えられます。
それはまさにキリマンジャロ山の森(バッファゾーンの森)が最もよく守られていた、かつての状況に戻すことにほかなりません。当会がバッファゾーンの森の返還を求めているのは、それが山麓住民の生存権、生活権を守ることのみならず、そこで住民主導による森林保全・管理を実現していくことが、結局はキリマンジャロ山の自然を長く守っていくことに繋がると考えるからです。