今回は当会の活動拠点であるキリマンジャロ山に暮らすチャガの人々の家族構成や名前について触れてみようと思う。
まず、私たちが活動に取り組んでいるテマ村は、人口4,131人、923世帯である。即ち1世帯当たりの平均家族構成は約4.8人ということになる。これは単純に考えると両親と子供3人、ということだ。
第3世界と呼ばれるような国では子沢山が相場だから、そのことから考えるとこの数字はかなり少ない。なぜだろう。それは、一つにはチャガの人々がタンザニアの中でも比較的教育に熱心で、子沢山の風潮にブレーキがかかっていることが挙げられる。しかしそれより大きいのは、実際は多くの若者たちが、職を求めて村の外(首都や各地の町)に出てしまっているためである。
たとえば私が村にいる間、よく居候させてもらうOzeniel Elimeleki Foyaさんの家族数は、祖母を含め8人であるが(祖母、両親、子供5人)、このうち上の3人の子供(もちろん未婚)は、村を出て外で働いている。従って現地で子供5人くらいは当たり前、10人以上なんてことも、別に珍しいことではない。
さて、彼らの名付け方であるが、このOzeniel Elimeleki Foya家を例に見てみよう。まず、キリマンジャロに住むチャガの人々は、過去の首長制度の名残か、いまも多くが氏族(クラン)を中心として、地理的(一つの尾根など)にまとまって暮らしている。それゆえその氏族名が、その土地ないし地域を指す名として冠されていることがままある。たとえばOzeniel氏の氏族名は“Foya”であり、彼の住む地域は“Foyeni”と呼ばれている。これは「Foya一族の土地」といったような意味である。
ちなみに、植林ワークキャンプで入るキリマンジャロ山中のテマ村オリモ。実はあの一帯(オリモ周辺)にも地域名(現在の行政区分でSub villageに相当)があり、“Maedeni”と呼ばれている。ワークキャンプ参加者なら「なるほど」と思うことだろう。そう、その一帯は“Maeda”という氏族(クラン)の住む土地であり、“Maedeni”はそこが「Maeda一族の土地」であることを意味しているのだ。
そして彼らの名付けであるが、父系制度を引き継ぐチャガの人々の間では、その名付けも家長である父親、すなわちOzeniel氏を例に取れば、父親の名前である“Ozeniel”を中心に付される。例えば彼の妻の名は“Mery Ozeniel Foya”であるし、彼らの子供の名前はそれぞれ“Hopson Ozeniel Foya”、“Upendo Ozeniel Foya”、“Imani Ozeniel Foya”、“Heshima Ozeniel Foya”、“Zamoyoni Ozeniel Foya”である。
前置きが長くなったが、ここで今回のタイトルの本題に入ろう。現地では、両親は子供にどんな思いを託してその名前を付けているのだろうか。ちょっと覗いてみることにしよう。先出のOzeniel氏一家にまたご登場願おう。まず彼の長男、“Hopson”。彼の名は明らかに英語の“Hope”から来ている。即ち「希望」というわけだ。現地で英語、或いは英語に多少のヒネリを加えて名を付けることは、珍しいことではない。これはタンザニアがかつて英国の植民地であったことと決して無縁ではないだろうし、キリマンジャロ地域で圧倒的に信仰されているキリスト教との関係も無視できないだろう。ただしOzeniel家で英語を借りて名前を付けているのは、このHopsonだけで、その他の子供はすべて、現地で話されているスワヒリ語から名前を取っている(ちなみに彼の妻の名、Meryは英語に由来)。
次に長女の“Upendo”。Upendoはスワヒリ語で「愛情」を意味する。次男の“Imani”は「思いやり」、三男の“Heshima”は「尊敬」の意味です。
最後に末娘の“Zamoyoni”。彼女の場合はちょっと意味深である。この名前には「彼女を最後と決めた」という決意が込められている。つまり“これで子供は最後”というわけだ。
Zamoyoniの場合は少し特殊だが、「希望」、「愛情」、「思いやり」、「尊敬」と、両親の子供に託す思いがひしひしと伝わってくる。Zamoyoniにしても、親の固い決意を託して産まれてきた、最愛の末娘である。
名付け一つをとってみても、どこの世界でも親の子に対する思いは同じ、と納得させられます。